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ラムサとは・・ [真・聖なる預言]

 私はラムサ、地球、あるいはテラと呼ばれるこの次元に遠い昔生きていた王者たる存在だ。その生では、私は死を迎えることはなかった。高次元へと昇華することができたからだ。自分の心の力をつかみとり、身体とともに見えない次元へと向かうことを学んだおかげだった。その過程で、無限の自由、限りないよろこび、限りない生命があることを私は知った。

 現在の私は、人間の目には見えないが、人類を深く愛している同胞たちの一団に属している。われわれは、あなたの祈りや瞑想を聞き、あらゆる動きを見守っているあなたの兄弟だ。全員が人間としてかつてこの次元に生きた者であり、人間であれば誰もが知る絶望や悲しみやよろこびを経験した存在だ。しかし、われわれは、人間の存在の限界を知り、それを超越することを学び、それよりはるかに偉大な存在の姿を知ることができたのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)
タグ:ラムサとは
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ラムサが地上界にきた目的 [真・聖なる預言]

 私がここにやってきたのは、あなたがわれわれにとってどれほど大事で貴重な存在なのかを伝えるためだ。なぜ大事なのか? あなたの中を流れる生命、そしてとらえ方に違いはあれども、あなたたち一人ひとりの内面を訪れる思いは--それはどちらも、あなたが神と呼ぶ知性、生命の力から湧き出たものだからである。それは私たちすべてをつないでいる核であり、そのつながりとは、地上界の者ばかりでなく、まだあなたが見ることさえかなわぬ、数限りない壮大な宇宙にある存在とのつながりのことを指している。

 私がここにやってきたのは、人間が遠い遠い昔に忘れ去ってしまった遺産を、あらためて思い出してもらうためだ。今いるところよりもずっと高い位置からものごとを見ることを教え、あなたはまさに神なる存在、永遠なる存在であり、神と呼ばれる本質的なものがつねにあなたを愛し、守ってきたことをわかってもらうためである。そして、あなたが、あなた自身こそが、自分の深い知性を通して人生のあらゆる現実をつくり上げたということを悟るための、手助けをするためである。そしてまた、その同じ力を使って、自分の望みどおりのどんな現実でも創造するのが可能であることをわかってもらうためなのである。

(真・聖なる預言より抜粋)
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自分の内にある神なるものに気づくこと [真・聖なる預言]

 自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種となるのだ。一人ひとりが自分の価値に気づき、そして自分の生命が永遠であることに気づくとき、あなたたちはひとり、またひとりと、無限の思考、無限の自由、そして無限の愛という意識の中に新しい存在として加わっていく。あなたが考えたこと、気づきを得たことはすべて、あらゆる場所に存在する意識体のレベルを向上させ広げていく。そして、わかったことを明確な意図をもって自分の人生の向上のために体現し、自分の生とするようになったとき、あなたはまわりにあふれているほかの人々のような凡庸な生き方に比べて、はるかに崇高な思考プロセスとスケールの大きい考え方、そして明確な意図をもった存在が、あなたの内にあるのを示すことができるだろう。

(真・聖なる預言より抜粋)
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未知の神とは誰なのか① [真・聖なる預言]

 生きる、というけっしてやむことのないプロセスに思いをめぐらし、それをじっくりと観察してはじめて、私には「未知の神」が本当は誰なのかがわかった。私はこう考えた。「未知の神」とは、人間の変質した思考からつくり出された神々ではない。人間の心にある神々とは、単に彼らが最も恐れ、敬愛するものが人格化した姿にすぎないと気づいたのだ。そして、真の神とは、けっして途絶えることのない本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだとおりの幻を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。そして再び春がめぐり、人が次なる生を受け、またこの場所に戻ってきたときにも、それは依然として存在し続けているものなのである。生命の力と、けっして途絶えることないその過程にこそ、まさに「未知の神」がおわすのだと私は気づいたのだった。

(真・聖なる預言より抜粋)

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未知の神とは誰なのか② [真・聖なる預言]

 「未知の神」とはいったい誰なのか。それは私……そして夜の巣にある鳥たちであり、葦に凍てついた霜、朝焼け、黄昏の空だったのだ。それは太陽であり、月であり、子どもたちであり、その笑い声であり、なめらかな脚であり、流れる水、そしてニンニクと革と真鍮の香りだったのだ。それはつねに目の前にあったのだが、私がこの理解を得るには長い時間がかかってしまった。「未知の神」は月や太陽を超えたところにあるのではなかった。それは私のまわりすべてにあったのである。この見方が新たに私の内に生まれてからは、私は人生を受け容れ、自分にとって大切なものを大事にし、生きるべき理由を見つけられるようになった。血や死や戦争の悪臭のほかにも、存在するものがあったのだ。生命というものが! それは私たちが思っていたよりも、はるかに偉大なものだった。

 この気づきを通して、その後の長い年月を通じ、私は確かに人間こそが、すべての中で最も偉大な存在だということが理解できるようになっていく。

(真・聖なる預言より抜粋)
タグ:未知の神
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