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ラムサの臣民であったとき [真・聖なる預言]

 あなたたちはそれぞれ、幾世にも幾世にもわたり、何度もこの地上界に戻ってきては生を全うしてきた。そしてそれらの生を通じ、新たなる叡智を得て、大いなる成長を遂げてきている。いまあなたたちの多くは知りたがっている。私自身が渇望し、そして得てきた叡智をいまのあなたは探し求めているのだ。もう家庭も持った。大切な種子を世界にまいてもきた。学ぶことはすべて学び、体験すべきことはすべて体験した。そしていま、これまでは何が大切かという価値観が違っていたために、学ぶことができなかったことを学ぶ準備があなたにはできている。だからこそ、あなたへの愛、人類全体への愛情のために、はるか遠い遠い昔に約束したように、私は自分の知っていることを教えるためにここに戻ってきたのだ。これからまさに偉大な教師としてそれを皆に教えよう。だが、ひとつだけ皆に求めることがある。自分が正しいと感じることだけを実行してほしい。ただそれだけだ。

 私が戻ってきたのは、現在の次元の先にあるものの華麗さを語るためではなく、それをあなたが自分で見られるよう、手をさしのべるためだ。哲学的な意味での理解ではなく、真実であることが自分の内面に強烈に響きわたり、あなたが再び遠い昔に忘れ去ってしまった神の摂理となることを魂が強く訴えかけるような教えを通じて、これを見てほしいのである。いまの形の存在のままで人類が存続していくためには、自分の「神性」、そして他の一人ひとりの神性について知ることが、とても大事なのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサの教えを通じ [真・聖なる預言]

 この教えを通じ、あたなは自分がこの驚くべき旅を始めた頃の栄光ある至高の存在となることを学ぶ。自分の内面の声だけに耳を傾けること、よろこびの道だけを歩むことを覚える。内面深く感じることを覚え、この地上界で最高の宝である感情を手にするのだ。そして、自分を深く愛するようになり、どんな人間が目の前に来たとしても、その人の内にあなたとまったく同じように神が宿っていることがわかるだろう。自分を愛するようになったのと変わらぬほど、その人を愛することができるのだ。そうすれば、自分にそれほど上手に教えたあなた自身が、今度は世界に対するまばゆいばかりの光となる。それは、あなたが自己愛の光り輝くモデルであるからなのだ。

 だが、この教えは宗教的な意味での叡智ではない。宗教はすぐ教義をふりかざし、制限を課して、特定の価値観で判断を下す。私は宗教を説く者ではない。宗教はこの地上界に大きな分裂と深い傷をもたらす。ここでの教えは、単なる知識だ。それは学びでもある。体験でもある。そして、それは愛である。私はあなたを愛し、その愛であなたに神を知らしめて、神の真の姿である無限性にあなたがなれるようにするのである。

 この教えには、法というものはない。法がまったくないのは、法というものが自由を妨げる制限であるからだ。私が教えるのは神、そして選択についてだけだ。大いなる知識への扉を開き、この地上界で生きていく上での選択肢を知ることができるようにするために、私はいる。あなたの人生がこの地上界だけに限られているわけではないことを悟ってもらうために、ここにいるのだ。生きるというのは、他の次元にも、他の多くの場所にも存在することだからだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサの教えの目的とは [真・聖なる預言]

 私ラムサは、あなたが自分の理想を描き出すための基準ではないのだ。自分の神秘を私を通して理解することはできない。それは知識を通してのみ可能なことだ。この教えの目的とは、知識と体験を通して、「未知の神」を求めるあなたの内面に、確固とした「知っている」という感覚をしみこませ、そしてそれが自分自身そのものであることに気づいてもらうことにある。そして、これこそがあなたの旅、あなただけの旅だ。なぜなら、それがあなた自身の人生であり、それはあなただけのものだからだ。

 私が教えること、あなたが学ぶこと、それはすべてあなたの人生に表れてくる。するとあなたは、ここで教えられていることが哲学ではなく、絶対の真理であることを知るだろう。一つひとつが表れるごとにあなたは成長し、さらに強くなり、軽快に、静かに、そして単純になっていく。そしてその単純さの中に、あなたは風を見つけることだろう。その力とその源は、あなたをさらに高めてくれることだろう。

(真・聖なる預言より抜粋)

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次なる冒険へ [真・聖なる預言]

 この生か、あるいはこれから続く生のどれかで、あなたにはもう欲しいものは何もなくなり、巨大な虚無がそこにあるのを感じると同時に、何かに強く惹かれ、すべてになりたいという強い欲求を感じることだろう。

 すると、今度はあなたも平原で過ごす時間を心待ちにするようになる。平原では、風はまるで髪の毛の中を強い力でまさぐる指のようであり、鳥ははるか遠くにある巣に向かって飛び立ち、太陽は天空にまたがる黄金の手を持つ輝ける存在だからだ。そして、それが自分にとって何よりも大切なことであるという理由から、私がしたように、あなたもそれに「なる」とき、ラムの行った場所で、私はあなたを温かく迎えることだろう。なぜなら、自分の思考プロセスをさらに壮大な理解へと開いてそれを体現するとき、それも自分の外ではなく、自分の内面で体現するとき、知識という名の自由が、その扉を開いて、あなたを待っていてくれるからだ。それを体現したとき、あなたにはもうここですべきことは何もない。次なる冒険へと出発するのである。この次元の先にあるさまざまな冒険は、さらに壮大で、あなたの想像をはるかに超えた壮観だ。光の中であなたは自由に形を変え、外の宇宙でも、内面の空間でも、自分の望むどこへでも移動することができるのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ただ在るということ [真・聖なる預言]

 神は、それ自体では善も悪もまったく持ち合わせていない。ポジティブもネガティブもない。神は完璧でもない。というのは、完璧であるというのも、存在し続け、変化を続けるこの豊穣な生命に制限を課すものだからだ。神はただ在るにすぎない。敬愛する父なる神が知っているのは、あらゆるものが(それもまた神そのものなのだが)、在るがままの生命を生きていけるよう、ただ在ることだけなのだ・・・。

 神とは、無限で至高の「ただ在るということ」、その分割不可能な全き存在そのものである。その「在ること」は、あなたを壮大な規模で愛しており、だからこそ、完全不完全、善悪、あるいはポジティブ、ネガティブといった幻影をあなたに創造させてくれた。そしてその神は、あなたの知覚を通して、あなたが知覚したものになったのである。つまり、神は在りて在るものすべてなのだから、正しいことだけでなく間違ったことでもあり、美しいものだけでなく醜悪なものでもある。それは聖なるものだけでなく卑俗なものでもあるのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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