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「ラムサ-真・聖なる預言」エッセンス [真・聖なる預言]

「ラムサ―真・聖なる預言」エッセンス


『ラムサ-真・聖なる預言』(川瀬勝訳、角川春樹事務所)より一部抜粋

01
私がここにやってきたのは、人間が遠い遠い昔に忘れ去ってしまった遺産を、あらためて思い出してもらうためだ。今いるところよりもずっと高い位置からものごとを見ることを教え、あなたはまさに神なる存在、永遠なる存在であり、神と呼ばれる本質的なものがつねにあなたを愛し、守ってきたことをわかってもらうためである。

02
そして、あなたが、あなた自身こそが、自分の深い知性を通して人生のあらゆる現実をつくり上げたということを悟るための、手助けをするためである。そしてまた、その同じ力を使って、自分の望みどおりのどんな現実でも創造するのが可能であることをわかってもらうためなのである。





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神という本質であるあなた [真・聖なる預言]

 神という本質であるあなたは、肉体の存在ではない。形は丸く、燃え上がるような純粋なエネルギー(それは光の本質と言い換えることができる)が、創造的な人生の宝ともいうべき「感情」を体験するために、身体の中に生きている--それがあなたの姿だ。本当のあなたとは、あなたが棲み家としているものとは別の存在だ。あなたの本質とは、あなたが感じることなのである。あなたを知ることができるのは感情を通してであり、身体を通じてではない。

 あなたの真の姿とは、精神、魂であり、光の存在と感情の存在とが組み合わさったものだ。あなたの精神、この小さな光の点は、あなたの身体の分子構造すべてを取り巻いている。こうして、あなたの化身という個体を擁し、支えているのである。あなたの魂はその個体の内部、心臓の近くにある空洞に位置している。その場所は骨によって保護されていて、そこには電気エネルギーのほかには何も存在していない。あなたの魂は、これまであなたが抱いた思考すべてを感情という形で記録し、蓄積している。魂の内部に蓄積されたこの独自の感情の集合体があるために、あなたは固有の自我、アイデンティティ、人格=自己を持っている。あなたが宿っている身体は、魂を運ぶ単なる車であり、この物質界に生き、遊ぶことを可能にするために選ばれた、洗練された手段にすぎない。にもかかわらず、この手段でしかないものを通して、あなたは自分の本質が自分の身体だという幻影にどっぷりと浸ってきた。それは違う。神は像というものを持たない。それはあなたも同じなのだ。


(真・聖なる預言より抜粋)
   




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自分はどこからやって来たのか [真・聖なる預言]

 あなたは自分がいったいどこからやって来たと思っているだろうか。単にひとつの細胞から進化した細胞の集合体なのか。ならば、あなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか。あなたに独自性や人格、性格、魅力を与える本質とは何か。愛し、抱擁し、望みを持ち、夢を見る能力、そして創造するというとてつもない力を与えるのはいったい何なのか。あなたが子どもの頃にすでに見せる知性、知識、智慧はどこで積み重ねてきたものなのか? あなたは、永遠から見ればひと呼吸にしかすぎない今生の間だけでいまの自分になったと思っているのだろうか?

 あなたは、膨大な時間の中で繰り返し繰り返し生きることを通じて、いまの自分であるすべてになってきたのだ。そしてその生の一つひとつから智慧を得て、あなたという独自の美しい存在をつくりだしてきたのだ。永遠という時間のほんの一瞬の間のためだけに創造されるにしては、あなたはあまりにも美しく、あまりにもかけがえのない存在である。

 自分を創造したのは両親だと考えているのだろうか。あなたの母親や父親は、遺伝という意味では親だが、あなたを創造したのではない。さらに大きな意味での真理では、彼らは愛すべきあなたの同胞だ。そしてあなたは、やはり彼らと変わらぬほどの年を重ねた存在だ。なぜなら、すべての存在は同じ瞬間に創造されたからだ。すべては、神、つまり壮大で崇高なる思考が、己に想いをめぐらし、わが身を拡大して輝ける光となったときに生まれたのである。それがあなたが存在を始めたときだ。あなたが生まれたときなのである。あなたの親とは、神のことだ。すべての生命の父母原理である神なのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

あなたは単なる人間以上の存在である [真・聖なる預言]

 わが同胞たちよ、自分が何者なのかについて、あなたたち一人ひとりが持っている理解は、まさに数千年にもわたって生きてきた幻の積み重ねだ。あなたは単なる人間以上の存在である。ほんの限られた存在でしかない人間という生き物よりも、計り知れないほど偉大なのだ。あなたは神そのものだ。つねにそうであったし、これからもそれは変わらない。あなたはこの地上に幾世にもわたって繰り返し生き、自分から奪われるのを許してしまったある壮大な真理を、再び学ぼうとしている偉大なる不滅の創造主なのだ。

 あなたたちはすべて、神自身から創造された神そのものだ。すべての生命の源からただひとつ直接つくられた創造物である神、さらにそこから生まれたさまざまな神々、それもあなたの姿だ。生命を探求するという冒険の中で、あなたは崇高なる知性と細胞物質を統合し、神なる人間となった。それは、神の精神が人類という名のひとつの形で表されたものであり、神々が、人間と呼ばれる自分自身の手になる創造物のすばらしさに感動しながら生きている姿なのだ。男、女、そして人類、それはまさしく限定された哀れな存在に化身した神の姿なのだ。すばらしい変装を施した神の姿なのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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すべての生命を創造したのはあなただ [真・聖なる預言]

 もう長いことあなたは、神は自分の生きる世界の外にあり、宇宙の彼方のどこかに存在していると教えられてきた。皆の多くもこれを信じ、真実として受け容れてきた。しかし、すべてのものの真の起因というべき神は、あなたの内面以外の場所にあったことはない。それは、あなたそのものなのだ。それは、沈黙を守りながらも人間の内面にいつも必ず存在している、あのすばらしい思考のプロセス、崇高なる知性のことなのだ。

 人は時間という次元の中に生まれるだけで、そこで成長して、年老い、そして死ぬとあなたは教えられてきたことだろう。これを真実と信じてきたために、まさにそれがこの地上界でのあなたの現実となった。だが、私がここに来てあなたに教えようとしているのは、あなたはもう何十億年と生きてきた不滅の存在であり、あなたの愛する父なるもの、すべての思考である神が自分について思いめぐらし、己を光りの輝きにまで高めた瞬間から、ずっと存在しているのだ。あなたたちの一人ひとりが、その光となったのである。まさにこの瞬間から、一人ひとりが独自の崇高なる存在となり、神の精神の一部となったのだった。

 神は単一の存在で、自分の手で天と地を創造し、それから人間という生物を創造したとあなたは教えられてきた。しかし、実はそれはあなただったのだ。神なる知性と自由な意志を体現するものとして、あなたがすべての生命を創造したのだ。朝の太陽も、夕刻の空も、あらゆるものの美を創造したのはあなただ。人間という驚くべき生物を創造したのもあなたであり、その目的とは、宇宙の虚無空間にある輝く光であったあなた自身が、自分で創造した生物であることのすばらしさを、自分自身で体験できるようにするためだ。

(真・聖なる預言より抜粋)
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神が最も至高な形で表れたものとは [真・聖なる預言]

 神が最も至高な形で表れたものとはいったい何だろうか。それは思考である。父なるもの、人間が自分の人生を創出する舞台、すべてのものの生命の力、そして生命物質とは、広い意味で言うと、思考である。思考こそが、過去、現在、未来を通じて存在するすべてのものの究極的な創造主だからだ。思考とは、すべてのものが創造される物質である。在りて在るものはすべて、「神の心」と呼ばれる高次の知性から出現している。

 すべてのものが独特の形とパターンを持っているが、それをつないでいるものはいったい何なのかを考えてみたことがあるだろうか。それは思考であり、思考は、愛という「宇宙の糊」なのだ。これがすべての物質を物質たらしめているものなのである。そして、これは何よりも壮大なスケールの愛と言えるのだ。父なる存在とはまさにこのことを言う。ありとあらゆるものは、あなたの身体でさえも、思考によってひとつにまとめられている。なぜなら、すべては思考によってまず想起されたもので、その思考とは神であり、そしてすべてをその場所に収めているのは父なる存在の自分自身への愛だからだ。

 あなたは神によってひとつにまとめられている。身体の分子構造、細胞組織を互いにつなげているのは、神の真の姿である壮大で崇高な思考だ。思考なしにはあなたの身体は存在せず、物質さえも存在することはない。何ひとつ存在しないのだ。それは、思考がすべての生命の創造主であり、それを支える要素だからである。

(真・聖なる預言より抜粋)
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ただ在るということ [真・聖なる預言]

 神は、それ自体では善も悪もまったく持ち合わせていない。ポジティブもネガティブもない。神は完璧でもない。というのは、完璧であるというのも、存在し続け、変化を続けるこの豊穣な生命に制限を課すものだからだ。神はただ在るにすぎない。敬愛する父なる神が知っているのは、あらゆるものが(それもまた神そのものなのだが)、在るがままの生命を生きていけるよう、ただ在ることだけなのだ・・・。

 神とは、無限で至高の「ただ在るということ」、その分割不可能な全き存在そのものである。その「在ること」は、あなたを壮大な規模で愛しており、だからこそ、完全不完全、善悪、あるいはポジティブ、ネガティブといった幻影をあなたに創造させてくれた。そしてその神は、あなたの知覚を通して、あなたが知覚したものになったのである。つまり、神は在りて在るものすべてなのだから、正しいことだけでなく間違ったことでもあり、美しいものだけでなく醜悪なものでもある。それは聖なるものだけでなく卑俗なものでもあるのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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次なる冒険へ [真・聖なる預言]

 この生か、あるいはこれから続く生のどれかで、あなたにはもう欲しいものは何もなくなり、巨大な虚無がそこにあるのを感じると同時に、何かに強く惹かれ、すべてになりたいという強い欲求を感じることだろう。

 すると、今度はあなたも平原で過ごす時間を心待ちにするようになる。平原では、風はまるで髪の毛の中を強い力でまさぐる指のようであり、鳥ははるか遠くにある巣に向かって飛び立ち、太陽は天空にまたがる黄金の手を持つ輝ける存在だからだ。そして、それが自分にとって何よりも大切なことであるという理由から、私がしたように、あなたもそれに「なる」とき、ラムの行った場所で、私はあなたを温かく迎えることだろう。なぜなら、自分の思考プロセスをさらに壮大な理解へと開いてそれを体現するとき、それも自分の外ではなく、自分の内面で体現するとき、知識という名の自由が、その扉を開いて、あなたを待っていてくれるからだ。それを体現したとき、あなたにはもうここですべきことは何もない。次なる冒険へと出発するのである。この次元の先にあるさまざまな冒険は、さらに壮大で、あなたの想像をはるかに超えた壮観だ。光の中であなたは自由に形を変え、外の宇宙でも、内面の空間でも、自分の望むどこへでも移動することができるのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサの教えの目的とは [真・聖なる預言]

 私ラムサは、あなたが自分の理想を描き出すための基準ではないのだ。自分の神秘を私を通して理解することはできない。それは知識を通してのみ可能なことだ。この教えの目的とは、知識と体験を通して、「未知の神」を求めるあなたの内面に、確固とした「知っている」という感覚をしみこませ、そしてそれが自分自身そのものであることに気づいてもらうことにある。そして、これこそがあなたの旅、あなただけの旅だ。なぜなら、それがあなた自身の人生であり、それはあなただけのものだからだ。

 私が教えること、あなたが学ぶこと、それはすべてあなたの人生に表れてくる。するとあなたは、ここで教えられていることが哲学ではなく、絶対の真理であることを知るだろう。一つひとつが表れるごとにあなたは成長し、さらに強くなり、軽快に、静かに、そして単純になっていく。そしてその単純さの中に、あなたは風を見つけることだろう。その力とその源は、あなたをさらに高めてくれることだろう。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサの教えを通じ [真・聖なる預言]

 この教えを通じ、あたなは自分がこの驚くべき旅を始めた頃の栄光ある至高の存在となることを学ぶ。自分の内面の声だけに耳を傾けること、よろこびの道だけを歩むことを覚える。内面深く感じることを覚え、この地上界で最高の宝である感情を手にするのだ。そして、自分を深く愛するようになり、どんな人間が目の前に来たとしても、その人の内にあなたとまったく同じように神が宿っていることがわかるだろう。自分を愛するようになったのと変わらぬほど、その人を愛することができるのだ。そうすれば、自分にそれほど上手に教えたあなた自身が、今度は世界に対するまばゆいばかりの光となる。それは、あなたが自己愛の光り輝くモデルであるからなのだ。

 だが、この教えは宗教的な意味での叡智ではない。宗教はすぐ教義をふりかざし、制限を課して、特定の価値観で判断を下す。私は宗教を説く者ではない。宗教はこの地上界に大きな分裂と深い傷をもたらす。ここでの教えは、単なる知識だ。それは学びでもある。体験でもある。そして、それは愛である。私はあなたを愛し、その愛であなたに神を知らしめて、神の真の姿である無限性にあなたがなれるようにするのである。

 この教えには、法というものはない。法がまったくないのは、法というものが自由を妨げる制限であるからだ。私が教えるのは神、そして選択についてだけだ。大いなる知識への扉を開き、この地上界で生きていく上での選択肢を知ることができるようにするために、私はいる。あなたの人生がこの地上界だけに限られているわけではないことを悟ってもらうために、ここにいるのだ。生きるというのは、他の次元にも、他の多くの場所にも存在することだからだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサの臣民であったとき [真・聖なる預言]

 あなたたちはそれぞれ、幾世にも幾世にもわたり、何度もこの地上界に戻ってきては生を全うしてきた。そしてそれらの生を通じ、新たなる叡智を得て、大いなる成長を遂げてきている。いまあなたたちの多くは知りたがっている。私自身が渇望し、そして得てきた叡智をいまのあなたは探し求めているのだ。もう家庭も持った。大切な種子を世界にまいてもきた。学ぶことはすべて学び、体験すべきことはすべて体験した。そしていま、これまでは何が大切かという価値観が違っていたために、学ぶことができなかったことを学ぶ準備があなたにはできている。だからこそ、あなたへの愛、人類全体への愛情のために、はるか遠い遠い昔に約束したように、私は自分の知っていることを教えるためにここに戻ってきたのだ。これからまさに偉大な教師としてそれを皆に教えよう。だが、ひとつだけ皆に求めることがある。自分が正しいと感じることだけを実行してほしい。ただそれだけだ。

 私が戻ってきたのは、現在の次元の先にあるものの華麗さを語るためではなく、それをあなたが自分で見られるよう、手をさしのべるためだ。哲学的な意味での理解ではなく、真実であることが自分の内面に強烈に響きわたり、あなたが再び遠い昔に忘れ去ってしまった神の摂理となることを魂が強く訴えかけるような教えを通じて、これを見てほしいのである。いまの形の存在のままで人類が存続していくためには、自分の「神性」、そして他の一人ひとりの神性について知ることが、とても大事なのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)

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未知の神とひとつになる [真・聖なる預言]

 知りたいことをすべて知り得たのは、高次に昇華してからのことである。肉体の固体性を脱して、想念の流動性となることができたからだ。そうした中で、私を抑えるものは何もなかった。人間はまさにその本質の部分で神なのだ、と悟ったのである。高次に昇華する以前は、私は魂などというものがあることも知らなかったし、化身としての自分の身体をどう昇華させたらいいのかについての仕組みも理解していなかった。わかっていたのは、自分がしてきたこと、生きるということを穏やかに受け容れられる状態にあったことだ。もはや私は、戦いを求める無知な野蛮人ではなかった。自分を酷使することも働きすぎることもなくなっていた。毎日毎日、そして毎夜毎夜、天空で見た、あの生きることのすばらしさを精一杯心の中に抱いていた。それが私のすべてだった。

 自分を愛することを学んだのは、偉大なもの、壮麗なものと自分を比べてみたときだ。自分が学んだことをしっかりと把握し、その対象を自己に向けて焦点を合わせたとき、私の人生は満たされていった。平穏が訪れたのもこのときだ。「未知の神」とひとつになったのもこのときのことである。

 私がなったのは風ではなく、風が象徴していた理想だったのだ。いま私は、風を司る存在となっている。すべてにあまねく存在し、すべての生命とひとつである自由な本質、目に見えない本質そのものになったからだ。この本質となったときに、私は「未知の神」のことがわかった。何が「未知の神」で、何がそうでないかがわかったのである。私が知りたかったのはこれだった。自分の内に答えを見つけ、その答えが私をさらに壮大な叡智へと導いてくれたのである。

 私は征服者ラムサだった者……いまは神なるラムである。あらゆるものの中で、最も単純でありながら、最も深遠なものによって蛮人より神となった。これから、あなたに教えるのは、すべて私自身が学んだことである。

(真・聖なる預言より抜粋)

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人間の変質した思考 [真・聖なる預言]

 人間よりも力があり、知性も優れていると思え、人間のまわりにありながら人間がいても平和に共存しているさまざまな要素、この世界をつくり上げているそういった要素について学ぶ過程を通じて、私は「未知の神」を見つけることができた。

 つねに不変であり、けっして判断を下さず、少しでも考えをめぐらせば誰でもすぐ理解できるものから私はすべてを学んだ。そのおかげで、人間の変質してしまった考えに支配されることもなかった。それは、偽善、頑なな理論、迷信じみた信念、そしていつもご機嫌をとらねばならない複数の顔を持つ神などのことだ。ほとんどの人間がまだこれから理解していかなければならないことを、私はこの地上界におけるただ一回の生で簡単に学ぶことができたのは、このためだった。言い換えれば、皆はほかの人間の考えの中に神を見つけようとしているのだ。政府による統治や教会による支配に、あるいは歴史の中に神を見いだそうとするが、その歴史がいったい誰の手によって、何の目的で書かれたのかということをまだ問いかけてはいないのである。人間は、自分の信念や考えや思考のプロセスといった、自分の「生」そのもの基盤を、幾度か知れぬほどの数の生を通じて、すでに何の役にも立たないことが明々白々となっているものに置いてきた。それが役立たぬことがわかっているのに、人間たちは自分の変質した思考につまずき、自分の傲慢さという牢獄につながれたまま、死に向かうことしかできない偽善を営々と続けているのである。

(真・聖なる預言より抜粋)

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ラムサ昇華する [真・聖なる預言]

 風となったとき、人間は自分自身について無知なままだといかに小さく無力であるか、そして知識の中に身を置くとどれほど偉大な存在となるかを、私は悟った。そして、ただ望むことを通じて何かに長い時間思いを馳せれば、人はそれそのものになると知った。自分はみすぼらしく、魂もない存在で無力なのだと自分に言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。自分を風の主と呼ぶならば、私がそうであったように、実際に風の主となる。そしてもし人が自分を神と呼ぶならば、その人は実際に神となるのである。

 こうしたことを学んでからは、敬愛するわが同胞たちに、「未知の神」、そしてすべての生命の根源であるものについて教え始めた。そして年も老いてきたある日、この生でやるつもりだったことはすべて成し遂げた、というときが訪れた。私はインダス河をわたり、やはりインダスと呼ばれていた山の麓で、百二十日間にわたり、わが民の全員とともに語り合った。そこで私は皆に強く訴えた。いま語るものこそが真実そのもであると知ること、そして神からの啓示は、私や誰かほかの人間を通してではなく、私たち一人ひとりを創造した神を通して訪れるものであること。これを信じてもらうため、私は彼らの頭上を越えて見事に浮き上がってみせた。女たちは悲鳴を上げ、呆然とした。兵士たちは不可思議なものを目の当たりにして、思わず剣を落とした。私は皆に別れを告げ、私と同じことを学び、私と同じようになるように訴えた--それぞれが自分なりのやり方で・・・。

(真・聖なる預言より抜粋)

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身体を離れる術(すべ)をマスターして [真・聖なる預言]

 自分の身体を離れる術(すべ)をマスターしてからも、どうすればどこかに行けるかがわかるまでに、ずいぶん時間がかかった。

 それからは長年にわたり、私は想念であちこちの王国に旅し、さまざまな存在に出会った。まさにこれから誕生せんとしている文明を訪れ、まだ見ることのない生活を目にした。ほんの短い一瞬の間に移動することも覚えた。思考のあるところ、そこに己も存在するということがわかったからだ。

 月日がたち、自分の理想になりきるという想いが、だんだんと私の身体の細胞にある生命力そのものとなっていくにつれて、私の魂は、一つひとつの細胞構造のプログラミングを変え、その中の波動を高め始めた。私の望みは、かくも強いものだったのだ。生きることに対して穏やかに感じられるようになるにつれ、その感情は私の身体組織のすみずみまでしみわたっていった。そして私はどんどん軽く、軽くなっていった。私の身体の波動は、以前より速くなっていた。物質の波動の速度から、光の波動へと進んでいったのである。私のまわりに輝く光が発生していたのもこのせいだった。

 やがて、月の光を浴びる私の身体は、だんだんとその輪郭がぼやけてきた。そしてある夜、私は月の光そのものになっていた。もはや想念で旅をしていただけではなかった。身体の波動を光にまで高め、自分の化身とともに移動したのだ!

(真・聖なる預言より抜粋)
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ラムサ風になる [真・聖なる預言]

 私は風になることを望んだ。そのことに何年も何年も思いをめぐらせた。風が私の理想となったのである。風が私のなりたいと願うものだった。私の思考すべてを傾けても、なりたいと思う対象となった。風に思いをめぐらし、そのつかみどころのなさ、軽さといった性質や、認識できるその輪郭に自分を合わせようとした。そして、風に思いをめぐらす過程で、何か正しいものを求め続けた私が、風そのものになったのだ。

 その頃、私は夕刻になるといつもひとりで平原にすわり、月のやわらかな青白い光にじっと見入りながら風に思いを馳せることにしていた。そしてそんなあるとき、驚いたことに突如自分が天界に浮かんでいることに気がついたのだ。下のほうを見ようと首を回したときなど、自分がいったい何者なのかわからなくなってしまったくらいだ。

 すぐに私は、平原のほんの小さな点と化した自分の身体から遠く離れていることを悟った。自分の化身を見下ろしたとき、私は剣を突き立てられて以来、はじめて恐怖を感じた。私を自分の身体に戻したのは、ほかならぬこの恐怖だった。

 私は自分がどこかほかの場所、自分の化身である身体という牢獄から離れたところにいたことを悟り、汗とも冷や汗ともつかぬものに濡れて、目を開いた。私は天国にいるような気分でもあった。自分が風になれたことは、まちがいなかったからだ。私は大地にわが身を投げ、すべての源であり、力であり、ものの始まりの起因であり、そして「風」である神を讃えた。風の優美さ、美しさ、そして豊穣なるその生となることができた、あの最高の瞬間を、私はけっして忘れなかった。そして、そうさせてもらえたのは、私が自分の理想となることを固く決意し、自分がなりたかったものを、いつも思考の中ではっきりと思い描いていたからだと考えた。

(真・聖なる預言より抜粋)

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未知の神とは誰なのか② [真・聖なる預言]

 「未知の神」とはいったい誰なのか。それは私……そして夜の巣にある鳥たちであり、葦に凍てついた霜、朝焼け、黄昏の空だったのだ。それは太陽であり、月であり、子どもたちであり、その笑い声であり、なめらかな脚であり、流れる水、そしてニンニクと革と真鍮の香りだったのだ。それはつねに目の前にあったのだが、私がこの理解を得るには長い時間がかかってしまった。「未知の神」は月や太陽を超えたところにあるのではなかった。それは私のまわりすべてにあったのである。この見方が新たに私の内に生まれてからは、私は人生を受け容れ、自分にとって大切なものを大事にし、生きるべき理由を見つけられるようになった。血や死や戦争の悪臭のほかにも、存在するものがあったのだ。生命というものが! それは私たちが思っていたよりも、はるかに偉大なものだった。

 この気づきを通して、その後の長い年月を通じ、私は確かに人間こそが、すべての中で最も偉大な存在だということが理解できるようになっていく。

(真・聖なる預言より抜粋)
タグ:未知の神
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未知の神とは誰なのか① [真・聖なる預言]

 生きる、というけっしてやむことのないプロセスに思いをめぐらし、それをじっくりと観察してはじめて、私には「未知の神」が本当は誰なのかがわかった。私はこう考えた。「未知の神」とは、人間の変質した思考からつくり出された神々ではない。人間の心にある神々とは、単に彼らが最も恐れ、敬愛するものが人格化した姿にすぎないと気づいたのだ。そして、真の神とは、けっして途絶えることのない本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだとおりの幻を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。そして再び春がめぐり、人が次なる生を受け、またこの場所に戻ってきたときにも、それは依然として存在し続けているものなのである。生命の力と、けっして途絶えることないその過程にこそ、まさに「未知の神」がおわすのだと私は気づいたのだった。

(真・聖なる預言より抜粋)

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自分の内にある神なるものに気づくこと [真・聖なる預言]

 自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種となるのだ。一人ひとりが自分の価値に気づき、そして自分の生命が永遠であることに気づくとき、あなたたちはひとり、またひとりと、無限の思考、無限の自由、そして無限の愛という意識の中に新しい存在として加わっていく。あなたが考えたこと、気づきを得たことはすべて、あらゆる場所に存在する意識体のレベルを向上させ広げていく。そして、わかったことを明確な意図をもって自分の人生の向上のために体現し、自分の生とするようになったとき、あなたはまわりにあふれているほかの人々のような凡庸な生き方に比べて、はるかに崇高な思考プロセスとスケールの大きい考え方、そして明確な意図をもった存在が、あなたの内にあるのを示すことができるだろう。

(真・聖なる預言より抜粋)
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ラムサが地上界にきた目的 [真・聖なる預言]

 私がここにやってきたのは、あなたがわれわれにとってどれほど大事で貴重な存在なのかを伝えるためだ。なぜ大事なのか? あなたの中を流れる生命、そしてとらえ方に違いはあれども、あなたたち一人ひとりの内面を訪れる思いは--それはどちらも、あなたが神と呼ぶ知性、生命の力から湧き出たものだからである。それは私たちすべてをつないでいる核であり、そのつながりとは、地上界の者ばかりでなく、まだあなたが見ることさえかなわぬ、数限りない壮大な宇宙にある存在とのつながりのことを指している。

 私がここにやってきたのは、人間が遠い遠い昔に忘れ去ってしまった遺産を、あらためて思い出してもらうためだ。今いるところよりもずっと高い位置からものごとを見ることを教え、あなたはまさに神なる存在、永遠なる存在であり、神と呼ばれる本質的なものがつねにあなたを愛し、守ってきたことをわかってもらうためである。そして、あなたが、あなた自身こそが、自分の深い知性を通して人生のあらゆる現実をつくり上げたということを悟るための、手助けをするためである。そしてまた、その同じ力を使って、自分の望みどおりのどんな現実でも創造するのが可能であることをわかってもらうためなのである。

(真・聖なる預言より抜粋)
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ラムサとは・・ [真・聖なる預言]

 私はラムサ、地球、あるいはテラと呼ばれるこの次元に遠い昔生きていた王者たる存在だ。その生では、私は死を迎えることはなかった。高次元へと昇華することができたからだ。自分の心の力をつかみとり、身体とともに見えない次元へと向かうことを学んだおかげだった。その過程で、無限の自由、限りないよろこび、限りない生命があることを私は知った。

 現在の私は、人間の目には見えないが、人類を深く愛している同胞たちの一団に属している。われわれは、あなたの祈りや瞑想を聞き、あらゆる動きを見守っているあなたの兄弟だ。全員が人間としてかつてこの次元に生きた者であり、人間であれば誰もが知る絶望や悲しみやよろこびを経験した存在だ。しかし、われわれは、人間の存在の限界を知り、それを超越することを学び、それよりはるかに偉大な存在の姿を知ることができたのだ。

(真・聖なる預言より抜粋)
タグ:ラムサとは
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